Vividyからのらせ

3.11の日に思うこと

あれから、もう9年。

9年前のわたしは、独立して2年目で、西池袋に住んでいました。

当時のクライアント様のサロン本部が豊島区寄りの新宿区にあって、そちらに訪問していました。

ミーティングの最中に、あの地震が起こりました。

揺れが大きかったので、ミーティングを中断して、先方の社長はサロンに駆けつけました。

わたしも同行しようとしましたが、「早く帰った方がいい」と促され、駅に向かいました。

そこで電車が動いていないことを初めて知り、自宅まで歩いて帰ることにしました。

幸いなことに、徒歩30分程度の道のりだったので、すぐに自宅の最寄駅につきました。

その間も、体感できる程度の余震が数回あったので、1人で自宅に帰ることが怖くて、マックに行きました。

「フライヤーを使う商品(揚げ物)が出せない」と言われ、コーヒーだけを注文しました。

そこで、PCを広げてTwitterで情報収集をすることにしました。

NHKのテレビ画面を撮影してYouTubeで配信してくれているユーザーを見つけ、PC越しにそのテレビ画面をずっと見ていました。

目の前では、津波が何もかもを飲み込んでいく映像が繰り返し流れていて、身体が震えました。

20時を過ぎて、さすがに帰ることにしたのですが、山手通沿いのセブンに行こうとしたら、目の前は新宿方面から池袋方面で歩く集団と、池袋方面から新宿方面に向かう集団で広めの歩道がごった返していました。

車道は、大渋滞です。

立ち寄ったセブンは、商品棚がスカスカで、トイレには行列ができていました。

なぜか、申し訳ない気持ちになり、何も買わずに帰宅しました。

すごく個人的な視点ですが、それが9年前のわたしの記憶です。

その後、周りの仲間たちの多くは、被災地支援の活動を行っていましたが、わたし自身が現地に行くことは1回もありませんでした。

間接的な影響を受けたクライアント様のフォローだけで、いっぱいいっぱいでした。

そして今、新型コロナウィルス拡散騒動が起こっており、2月下旬以降は、その対応のご相談に応じている日々です。

9年前の自分と、やっていることはあまり変わっていないなと、正直思います。

ただ、変わったことといえば、今のわたしには家族がいるということです。

守るべきものが、できたということです。

国内の経済活動の縮小に対する懸念が大きくなる中で、家族を守りながらもできる仕事がたくさんあるということを、わたしは知っています。

仕事を創ることができる自分が、ここにいます。

だから、こんな時期でも、わたしは立ち止まりません。

もし仮に、コロナの影響で何らかの仕事がなくなっても、代わりにやりたいことがたくさんあります。

一緒に動いてくれる仲間を、これから募っていきます。

つだまどか